この先、パティシエとしてどう生きるか
- 平岩
- 最近、パティシエの方々は、どこまでお店をやっていくのか、ご自分のお子さんにということに限らず、何らかの形で継承していくのかといったことを、色々と考えていらっしゃるように思います。京都の西原金蔵シェフは、65歳で“卒業”するということを宣言されて、2018年5月に惜しまれながら「オ・グルニエ・ドール」を閉店されました。息子さんもパティシエですが、お店を継がれたのではなく、別のお店を新たにやっていらっしゃいます。柴田シェフは、この先、10年後、20年後について、どのようにお考えでしょうか?
- 柴田
- 最近は自分も、辻口博啓さんや、鎧塚俊彦さん、安食雄二さんなど、仲のいいパティシエの友人達と、「どうします?どこまでやります?」と、よく話すようになりました。自分達は若い頃、ずっと、仕事ばかりしてきた世代ですが、だんだん体も悪くなるし、人生の時間をどう生きてきたか、ということを振り返りますよね。
- 平岩
- まだまだお若くお元気なパティシエの方でも、早い段階でブランドを継承してくれるパートナー企業を探して、経営は任せたいといったご意向をお持ちでいらっしゃることも、最近は増えてきたように思います。


- 柴田
- 自分も、どうすればいいんだろう?と思っている最中ですね。フランス料理界を牽引したジョエル・ロブションさんなんかも、50歳で引退していますよね。今後、お菓子屋さんをやってきたことをベースに、会社を売るのか?上場するのか?海外のパートナーともそういう話をするんです。
- 平岩
- フランスでは、有名なパティシエやショコラティエの方々も、早い段階でブランドを引き継いで、引退後に悠々自適で第二の人生を過ごされる、ということが多いですよね。
- 柴田
- 自分は、60歳をターニングポイントとして考えているんです。海外とも繋がりがあるので、国外のマンションやビザを取得するといった可能性も含めて。その時もお菓子は作っていたいと思いますが、どんな人達と一緒にやるのかが大事ですよね。そのためにも、他業種の人達と情報共有をすることが大切です。その方が、色々な道が開けていくんですよね。お菓子屋さん同士だけだと、考え方が狭くなってしまう。
- 平岩
- 柴田シェフと同世代で、特に海外でもお仕事をされているパティシエの皆様は、同じように考えていらっしゃる方が多いように思います。
- 柴田
- 自分の知り合いにも、1歳年下のIT企業の社長さんがいますが、経営者としての先々の考え方など、学ぶことが多いです。
日本のお菓子屋さんは、どうしても、「跡を継がせる」とかそういった話になりがちですが、そういう時代ではなくなっている。一方、若い子達には、しっかり将来を見定めなくても、「とりあえずバイトでつなぐ」みたいに、逃げ道があるんですよね。国がそういうふうにしてしまったのだと思います。

- 平岩
- 柴田シェフご自身は、この先、どのようなことをしていきたいとお思いでしょうか?
- 柴田
- これから、お菓子屋さんがやりづらい時代になっていきます。だから、「子供に残そう」とかは考えないですね。自分も、サラリーマン家庭に生まれ育って、好きなようにさせてもらいましたから。
- 平岩
- 大勢のスタッフを抱えた大所帯のお店の経営はやめて、ご夫婦お2人で出来る範囲のお店をなさるといったパティシエの方もいらっしゃいます。
- 柴田
- でも、1人でお菓子を作るのは大変ですよ。1日10個作って売るとかでも、本当に、老体に鞭を打って・・という感じになっちゃいますね。不労所得があればいいですが。
自分は、仕事としては、この店が最後だと思っています。改装にもかなり費用をかけましたが、今、ラストランのつもりで、色々なことをやっていますね。デザートもちゃんと出したいと考えています。最近、岐阜の高山によく行っていますが、桃やブルーベリーといったフルーツが採れるので、それを使った、パティシエとしてのカクテルなども発信していきたいです。

- 平岩
- お店の商品開発というのは、スタッフの方に任せたりもされているのですか?
- 柴田
- 商品開発も、ほぼ自分でやっています。50歳になって、考え方が変わりましたね。55歳、60歳の時のことを考えて動いていきたい。今までの集大成ということを、もっと具体的に考えないといけないと思っています。
コロナ禍の世の中になって、もちろん嫌なことや辛いことが多いのですが、たとえば営業時間を短くするとか、これまでの慣例などを変えるきっかけにはなっているのかなと思います。うちも、2-3年前から、年間105日の休みに加えて、有給休暇も取らせるようにしています。
- 平岩
- 年間105日ということは、月8-9日のお休みが取れているということですよね。それに有給休暇も加わるとなると、労働環境として、お菓子業界が目指しているところを、既に実現されているのですね。
お菓子の素材選びについて
- 平岩
- 最後になりましたが、お菓子の素材選びについてのお考えもお聞かせいただけますか?
- 柴田
- 日本は、正直、材料が多すぎるなと思います。消費者の方々に違いを伝えづらいですよね。自分がアンバサダーを務めているフランスのチョコレートメーカー「セモア」さんなんかにも、「日本のマーケットはキツイですよ」と言いました。
材料が多すぎると、在庫管理なども大変になって、“働き方改革”の逆行になってしまうんですよね。
ただ、たとえば今、ミルフォイユのフィユタージュには「モンテギューバター」を使っていますが、味が全然違うので、どうしてもこれを使いたいというものはあります。
- 平岩
- 海外のお店では、日本と同じ材料が手に入らないということもあると思いますが、その点はいかがですか?
- 柴田
- 上海なども、生クリームだけは、日本と同じようなものは手に入りづらいですね。そこは無理しないようにしています。
今後は特に、東海エリアの美味しい素材をいかに伝えていくか、ということに、これまで以上に挑戦していきたいですね。
- 平岩
- 世界を舞台に、あちこちでご活躍されていますが、やはり、地元を原点として見ていらっしゃるのですね。
アフターコロナの世界で、柴田シェフがパティシエとしてどのような発信をしていかれるのか、今後も楽しみにしています。今日はどうもありがとうございました!

柴田武シェフ プロフィール
1971年、岐阜県生まれ。神戸のフレンチレストラン「ジャン・ムーラン」、パリ「ホテル・リッツ・エスコフィエ」「シェ・ミラベル」などで腕を磨く。1995年、自店「シェ・シバタ」を地元の岐阜県多治見市にオープン。2006年、名古屋店オープン。2009年上海、2010年香港、2013年バンコクと、アジア各地に「シェ・シバタ」を展開し、日本と海外を多忙に行き来する。2010年、多治見市観光大使に就任。2016年、フランスの大手チョコレートメーカー「セモア」のアンバサダーに就任。

※店舗情報及び商品価格は取材時点(2021年05月)のものです。最新の店舗情報は、別途店舗のHP等でご確認ください。