![]() この世界に飛び込んだのは、19歳のころ。最初の1年間はメゾン・ド・プティフールで修行しました。その後も、ペルティエ、ジョエル・ロブション、マリアージュ・ドゥ・ファリーヌと、パンと本格的なお菓子を扱う店で修行しました。それが今の自分に大きな影響を与えているのだと思います。 ![]() パンとお菓子の店にするということは、最初から決めていました。お菓子が大好きだったのと、最初に経験したお店がヴィエノワズリーと焼き菓子の専門店だったことが影響していると思います。メゾン・ド・プティフールでヴィエノワズリーを食べたときは、そのおいしさに感動しましたね。それから様々なベーカリーを食べ歩きするようになって、どんどんパンの魅力を感じるようになっていきました。その頃感じたのは、パンも焼き菓子もきちんと修行しておいしいものを出すお店はなかなかないということ。だったら自分は、パンとお菓子を1:1で、どちらも本当においしいものを出すお店を持ちたい、そう考えるようになりました。どちらも手を抜かずに本当においしいものをと。パンがあって、焼き菓子があって、生菓子があって、ジャムがある。少しずつではありますが、そんな理想の店作りに向かって進んでいます。
![]() ![]() 世田谷のこの場所を選んだのは、自分たちのなじみのある場所でやっていきたいという思いがあったから。今まで経験してきた店はみな世田谷周辺にあったので、出店するなら世田谷という思いはずっとありましたね。物件は、出店する一年以上前から探していました。この物件は、広すぎるのと、家賃が高かったのとで一度諦めていたんです。決まりかけていた別の物件が突然だめになってここにしたのですが、今ではこの場所でよかったと思っています。世田谷線松蔭神社前駅の目の前にあり、電車の中からもうちの看板を見て気にしてきてくれるお客様も多い。広い分家賃など大変なこともありますが、ちょっと背伸びをしてでもこの物件を選んでよかったと思っています。 2009年10月のオープン当初は、ここまで多くのお客様に来てもらえるとは思っていませんでした。チラシを配ったりポスターを貼ったりもしましたが、それも1日だけ、町内だけのことでした。運も良かったと思います。お店の周辺にジャーナリストの方が多く、そういった方が情報発信してくれたことで、早くから多くのお客様に知っていただくことができました。また、ベーカリー激戦区といわれる世田谷に出店したことも良かったのだと思います。パンへのアンテナが高い方が近所に多く住んでいますし、パン屋めぐりツアーのコースに組み込まれることもあります。ベーカリー激戦区の中にあるからこそ、早くから多くのお客様に知っていただけた。それが、オープンしてすぐにたくさんのお客様に来店いただけた理由なのかと思います。 ![]() ![]() パンの作り方は夫婦で正反対ですね。私は感覚的にパンを作ることが多いんですが、妻は理論的。きちんとデータを取って計画的に作ります。新しいパンを考えるときは、妻が生地を考え、私が形を考える。自然と、役割分担ができているんですね。こうして夫婦でパン作りに対する姿勢が違うからこそ、二人で補い合いながらやってこれたのかなと思います。 枝里子氏: 二人のなかで、やりたいことはオープンした頃から決まっていました。シンプルに、おいしいものを。見た目も良くて、味もいい、誰からもおいしいと思ってもらえるパンを作ろうと。だからこそ、生地にはこだわり過ぎないようにしています。特別な材料も使いません。パンの知識がない人が食べてもおいしいと思えるパンを作りたいんです。説明なしで誰もがわかる食パンやあんぱんを看板商品において、それをどこまでおいしくできるか。そんなことを考えながら作っています。 ![]() 枝里子氏:
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