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父親がパン屋なので自分の将来はパン屋だとずっと思っていて、特に他の道は考えませんでした。高校を卒業してパン屋に携わろうと思っていましたが大学に進学しました。理由は、東京にでてみたかったことと、父親から人脈をつくることも、遊ぶことも大切だといわれたことがきっかけです。卒業後、知人の紹介でデイジイに勤めることになりました。倉田さんのお店です。東川口でまずは1年間販売をやりました。倉田さんは接客が最も重要と考え、製造の人も常にお店にでられるようにしています。厨房にこもると偉そうになるという理由です。接客だけでなく講習会の助手や海外渡航など皆がそれぞれ経験します。いつもいきなりの指名で、入社2ヶ月目のとき荷物持ちという名目で韓国の講習会に同行しました。言葉もベーカーズパーセントも製パン用語もよくわからないのに、いろいろな指示が飛び必死で対応したのを覚えています。 その後何度か助手をやりましたが、講習会は人数や時間の確認、手順や準備物などの細かい段取りなどを考えなくてはならず、しかもまったなしです。また、人前でうまく成形できなかったことも何度もあり、悔しくてあとで練習しました。本番中は講師の行動の先読みをして用意したり片付けたり。一言だけの指示、スピードと知識と想像力が求められ、言い知れぬ緊張感を味わいます。竹谷さんとお会いしたのも講習会のときです。こういう場面で、あの黄色い本の先生が気さくに話しかけてくれたことは印象深く、とても嬉しかったです。今思えば、このように緊張する場面と、普段はお店で前向きなオーナーや先輩たちがいる良い環境、このふたつがあったからこそ身になる経験を積めたと思っています。
お店は群馬の太田という場所にあります。デイジイで5年修業して戻ってから1年は引きこもっていました。精神的にまいった時期がありました。自分のパンを作りたい、食事パンやハードロールなどおしゃれなパンを並べたいという都会コンプレックスのような気持ちもありました。いろいろありましたが、結局、製造に対する考え方が合わない職人さんにはやめてもらい、社長(父親)も人のパンには手が出せず、ひとりでつくっていました。朝3時から夜11時まで。その時期に、クリスマスにはバゲットが売れると聞いて、30本ずつ焼きましたが売れずに余りました。他店では例えばチーズフォンデュをワインと一緒に食べるお客様がいてやはり売れたと聞きました。パートさんにその話をすると、うちではクリスマスは家族でちらし寿司と言われました。地域のお客様のことをしっかり見ようと思いました。この頃ポツポツと製造の人が入ってきました。倉田さんから講習会への参加をすすめられ外にでていくようになりました。今も時間はなく大変ですが、できるだけ集まりに参加するようにしています。気の合うベーカリー仲間もでき、自分のリフレッシュのためにも大事な時間となっています。おかげさまで、今では4年前に地元に帰ってきたときの倍の売上になりました。お客様の喜ぶことに向かってすすんでいます。
その後もフランスパン、ドイツパンはなかなか売れません。どうしたら食べてもらえるか考えていました。あるとき子供のいるパートさんからパン教室をやってほしいと言われました。休日に厨房を利用して「親子パン教室」を開催することにしました。小学生以下の子供を対象に1回8組。ママ友の口コミは早いので常に3倍くらいの応募があります。捏ねるところから始めて、ホイロ時間をランチタイムにしています。ランチメニューはドイツパンとフランスパンだけ。スライスして提供します。トマトやマヨネーズをサンドしたり、バゲットに板チョコだけを挟んで食べてもらったり、このパンならではのおいしさを伝えています。これをきっかけにこじゃれたパンが売れるようになりました。 パンを買うのは母親ですが、子供が喜ぶことも大事にしています。なぜなら子供の心を掴めれば先につながるからです。採算とは別のものとして力を注いでいます。 喜ばれるのが「メダルパン」です。土日に数量限定ですが子供たちに差し上げています。30gの生地をモルダーに通し平たくし、飾りをつけたりくり抜いたり自由に成形して焼きます。焼き上がったパンにリボンを通せば出来上がり。メダルパンを子供たちの首にかけてあげます。これを目当てにパン屋に行きたいといってもらえるほど、子供たちに喜ばれています。